『月見酒』    前編


「ぷっはー!やはり月見酒は美味いのぅ〜♪」

まんまるな満月を愛でつつ、少年の姿をした水の精霊、ミルシェライールは美味しそうに、くいっと杯を傾けた。
人気のない湖のほとりの岩に腰掛け、とくとくと、酒を注ぐ。
訳あって、見た目はまだまだ酒など飲むのを止められてしまいそうな幼い姿をしているが、
中身は、一応、自称「ぴちぴちの青年」なので、こうして月が綺麗な時は、一人で静かに酒を楽しんでいる。

「・・・しかし。こう、見事な満月を見ておると、あの時のことを思い出すのぅ・・・」

記憶の奥底に残る月も、今のこの月のように、煌々と輝いていた。
十数年前のことだが、今でも鮮明に覚えている。

「あやつと、わしが初めて会ったのも、こんな日じゃった・・・」

懐かしさに目を細めたミルシェライールは、その当時に思いを馳せた。



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―――水都・ティミュールのエリアス大聖堂。
普段は参拝に訪れる人々や、神官たちが絶えず行きかうが、
さすがに夜も更け、満月の明かりが窓から差し込むだけの大聖堂の中には、
ただ4つの人影が見えるだけだった。

「・・・はぁぁぁっ!?
 何でわし―――ぐわっ!?」

声を荒げかけた青年。
そして、その青年を、自ら手にしていた扇子を投げることで黙らせた妙齢の女性は、スッと目を細め、

「・・・ユイ様が目を覚まされるであろう?
 騒ぐでない」

静かに、だが、ぴしゃりとそう言い放った。
扇子を投げられ、それでもめげない青年は、痛む額をさすりつつも、なおも言い募ろうとする。

「しかしっ、長(おさ)!」

「・・・今度は何を投げてやろうかの?ミルシェライール・・・」

ファーレン家を守護する精霊の長、ディアネーラは美しい顔に妖艶な笑みを浮かべながらも、
声に静かな怒りをにじませた。
そんな二人のやりとりを見ていた老人は、膝に頭を乗せて無邪気に眠っている幼子の髪を
静かに撫でながら、威厳の滲む声で二人を諌めた。

「ディアネーラ、ミルシェライール。二人とも落ち着きなさい。
 ・・・これでは、本当にユイが起きてしまうよ」

老人・・・とはいっても、背筋はすっと伸びており、
落ち着いた雰囲気ながら、その瞳には揺るぎない強さを宿している。
しかし、膝の上の少女――ユイが小さく身じろぎすると、とたんにその双眸が優しくなり、愛おしそうに髪を撫でた。
青年―――ミルシェライールは、

「・・・すまぬ、大神官殿。
 しかし、どういう事なのかきちんとした理由を教えて頂きたい。
 何故、わしが守護精霊をせねばならぬのか?」

ファーレン家では、ある程度の魔力を持っているものは、ファーレン家を守護する
精霊たちと契約を結ぶことになっていた。
それは、生まれつき強い魔力を持つものが誕生することが多いファーレン家独特のもので、
そういった者たちの魔力が暴走しないように、また、魔力を共有することで
存在能力以上の魔法を使うことが出来るようになるという利点もある。

精霊たちがファーレン家を守護するようになったきっかけは、
初代当主に恩を受けたから、とか、戦いで敗れたため傘下に下ったなどと諸説あるが、
長くを生きた精霊たちにも、その時のことは伝わっていない。
ただ、生まれた時から見守っていただけに情も湧き、それ故に力を貸したくなる、というのが
今では一番の理由になっていた。

そういった事情から、ファーレン家に仕える精霊としては、長に家人の守護を任せられることも
あるのだが、ミルシェライールは納得がいかない、というように表情を曇らせている。
そして、つい、と視線を大神官から、その膝で眠る子供に移し、

「・・・しかも、このような、まだ年端も行かぬ幼子と。
 まだ、五つにもなっておらぬだろうに・・・」

そう呟いた。
魔力の強さにより多少ばらつきはあるが、だいたいは十代前半から半ばに契約をすることが
多かったので、ミルシェライールの疑問も当然だ。
今、目の前にいる大神官のシェンでさえも、その魔力の強大さゆえに、異例の若さで契約をしたが、
それでも7歳だった。

「・・・ユイは、まだ4歳だ。
 確かに早いのかもしれない。
 だが、どうしても今のうちに契約しなければならないのだよ」

ユイの頭を撫でるシェンの手は優しいが、その瞳は憂いを帯びている。
そんなシェンの様子を見かねてか、ディアネーラがその続きを引き継いだ。

「ユイ様は、とてもとても強い魔力の潜在能力をお持ちなのじゃ。
 曽祖父であるシェン殿と同等・・・」

「――ーいや、恐らくはそれ以上だ」

同等、といったディアネーラの言葉をさえぎり、シェンはきっぱりとそう言った。
そんな淡々とした物言いは、逆に真剣みを帯びてミルシェライールに伝わった。

「このまま守護精霊をつけずに成長したら、魔力の暴走によって
 他人や自らを傷付けてしまう可能性が大きいだろう・・・。
 だから、今のうちから契約をして、魔力を抑えてしまいたいのだ。
 頼む、引き受けてくれないか。ミルシェライール」

可愛いひ孫のユイの未来のために、自らを説得しようとするシェンに、
ミルシェライールはそれでも首を横に振る。

「・・・なぜわしではなくてはならないのじゃ!
 他にも、精霊はたくさんおるのに・・・」

「わらわの次に強い実力を持つ精霊は、お主じゃからだ。ミルシェライール。
 ユイ様の魔力につりあう力の持ち主は、お主しかおらぬ」

自らが仕えるファーレン家の大神官と精霊の長。
そんな二人からどれほど言われようと、ミルシェライールには、素直にうなずけない理由があった。
苦しげに眉を寄せ、力なくうつむく。

「だが・・・わしは、もう守護精霊は・・・っ!」

「弟のことをまだ気にしているのか?」

「―――っ!?」

静かに告げたシェンの言葉に、ミルシェライールの顔色がさっと青くなる。

「私は、もう気にしてはいないよ・・・。
 あの出来事は、お前だけのせいではない。
 もう、あれから50年以上たつ。いい加減、自分を許してやりなさい・・・」

その言葉通り、シェンの瞳は穏やかだった。

「・・・もう50年・・・。
 確かに人の身にすれば長い時なのかも知れぬ。
 だが、わしら精霊には、ついこの間のように思い出されるのじゃよ・・・」

今も鮮明に思い出す。目の前で命が失われていく様を。

―――自分がそばにいれば、助けることが出来たかもしれない。
―――彼のそばを離れさえしなければ・・・

そう何度後悔したところで、すでに失われた命は戻ってこない。
わかってはいるのだが、ミルシェライールは今だに過去を忘れられずにいた。

「・・・過ちを悔いるのも大事なこと。
 しかし、悔いてばかりで前に進めぬのは、愚かなこと。
 そう思わぬか?ミルシェライール・・・」

双眸を少し和らげ、ディアネーラが優しく問う。
はっきりと言葉にしたことはないが、ディアネーラもシェンも
いつまでも過去を引きずるミルシェライールのことを案じていた。
ユイの守護精霊となることで、少しでも前に進むきっかけにならないだろうか・・・という思いもあったのだ。

「ユイと共に・・・未来へ歩んでくれないか」

優しく言い重ねたシェンの言葉に、ミルシェライールは、それ以上首を横に振ることが出来なかった。
シェン、ディアネーラへと順に視線を巡らせ、最後にユイの寝顔を見詰めると、
やがて、意を決したように顔を上げた。

「・・・わかった。
 守護精霊の任・・・お受けしよう」

二人の思いを受け、静かに深く頷く。

「ありがとう、ミルシェライール・・・。
 ユイを頼むよ」

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